無料楽器プレゼントもあり大人からでも始められます

 学校:EYS MUDIC SCHOOL
 楽器:ヴォーカル
 年数:2年(51歳~52歳)
 場所:EYS銀座

自分の歌って下手だなあ、うまくなりたいなあ、カラオケだけど
付き合いと趣味でカラオケに行っているうちにもっとうまく歌いたい、もっと長く歌っても疲れないようにしたいと思うようになりました。
TVでも採点する番組がありますね。何度試しても同じところで音が外れるのです。
採点の得点の高さが歌の上手さでないことは重々承知しています。
でも、狙った音にあたらない、そもそも正しい音が出せているのか、採点以外で確認できない、自分で音程を正しく取れるようになりたい、と思いました。

講師は失礼が無い、当たり前だと思うでしょうが
楽器のレッスンではないので無料プレゼントの恩恵はありません。入会時の説明にもあったのですが講師はオフィスカジュアルが基本スタイルのようです。
他のヴォーカルスクールだと私服が多いのですが、きちんとした印象です。
また、中にはそういうレッスンが好きな方もいるかもしれませんが、
そうでない生徒に対してもいい加減な内容のレッスンをする講師も多いものです。
少なくとも自分の受けたEYSの講師は、レッスン時間に長々と無駄話もしませんし、大きく遅刻や前のレッスンがずれ込むこともありませんでした。
他のスクールでもそうなんですが、講師が辞めたり異動が多く、いろんな講師につくのは慣れてからはいいのですが、初めは一人につかないと教え方が違って戸惑います。

ヒトカラが嫌いになくらい行きました、が
練習もあって一人でカラオケ店によく行きました。
レッスンだけでは上手くなりませんが、定期的に発声を行うのでいい運動にはなります。
でもまだ自分では、音程に自信がないままです。
採点ゲームで高得点を、無理な歌い方ではなく、取れるようになりたい。
と思っています。

大人になってやっと好きな楽器を習えた

学校:ヤマハ音楽教室
楽器:フォークギター
年数:2年(40歳〜42歳)
場所:溝口

ビートルズを演奏したくて
ビートルズの曲をギターで弾きたくて習いに行きました。
特にポール・マッカートニーの「ブラック・バード」を弾きたくて。
結婚して子育ても終わり、やっとパートのお金も自分の事に使えるようになったので。

「先生はなかなかすごい人でした」
先生はバンドをやっていた風な感じの人でした。音楽を聴いただけで、コードがわかるようでした。ビートルズは既存のコードにはない自分たちで作ったコードで曲を弾くこともあって、そういう事も教えてもらいました。発表会などもあったようですが、私は参加しませんでした。他の人はピアノを習うお子さん達や大人の男性がバイオリンやサックスなどを習いに来ていました。私の娘もドラムを習いました。発表会の写真も壁に飾ってあり、楽しそうでした。みなさんだいぶ上達しているようでした。防音がしっかりしているので、ドラムなどもドアを閉めてしまうとまったく聞こえませんでした。

うまくならなかったけど、満足です
結局2年通ったけど、うまくはなりませんでした。教室が悪いのでなくて、間の日に自分でほとんど練習しなかったからです。やはりやる気がなければだめですね。
ただ教室に通ったおかげで音符が少し読めるようになりました。それからギターを弾く時の正しいピックの持ち方や、正しいストロークの仕方など、自己流ではどうしても変な癖がついてしまいそうな部分がちゃんと習えたので良かったです。教室は辞めても、時々家でギターを練習する時は習った知識が役に立っています。教室で習った事を覚えていればいくつになっても練習はできますので、いつかは「ブラック・バード」をすらすらきれいに弾けるようになりたいです。

音楽に興味を感じた

学校:ヤマハ音楽教室
楽器:オルガン
年数:2年(4歳〜6歳)
場所:神戸市垂水区の明舞幼稚園

幼稚園に入園して歌やお遊戯の機会が増え、そこで音楽に興味を持ってピアノを習いたいと思い、近所の子や幼稚園の友達が
ピアノを習っていたことに感化されたこともありました。そこで家の近くの幼稚園でヤマハ音楽教室を開催していたので、
そこの教室でオルガンから入ってとりあえず音楽に親しむことからスタートしました。

「集団レッスンで楽しかった」
そしてそこのヤマハ音楽教室に入会し、集団レッスンなので技術の向上だけでなく、友達もたくさんできてみんなと協力することや
チームワークの大切さを学ぶことができたのは大きなプラス面でした。オルガンだけでなく、カスタネットやタンバリンなどの楽器に
触れることができてみんなで音を合わせる合奏は本当に楽しかったです。みんなでひとつのことを作り上げることにおいて大きな
達成感を得ることができました。とにかくみんなで音を合わせるという楽しみを存分に味わうために日々の練習を一生懸命行いました。
家で一生懸命練習しないとみんなの足をひっぱってしまって他の人たちに迷惑がかかります。集団レッスンを有意義なものにするためには
練習に練習を重ねる事の大切さを学びました。

楽譜が読めるようになり、スムーズにピアノに移行できた
2年間のヤマハ音楽教室の過程を経て楽譜が読めるようになりました。やがて小学生になり、その後においてはピアノの個人レッスンに
移行しましたが、ヤマハ音楽教室で基礎をしっかりと培ったおかげでピアノにもスムーズに移行できました。ピアノそのものは初めてとはいえ、
楽譜も読めて両手で弾くことができていたのは大きなプラス材料でした。オルガンだったがヤマハ音楽教室
練習の習慣はしっかりと身についていたので練習もさほど苦痛に感じることがなかったです。ヤマハ音楽教室のおかげで
ピアノのレッスンもすぐに軌道に乗ってピアノも成人するまで長く続けることができました。
実現しなかったが、将来はピアニストになりたいという夢を持ち続けながらピアノのレッスンにいそしんでいました。

路上ライブで出会ったベーシストは後々の音楽の先生

学校:Roots of music
楽器:ベース
年数:1年(22〜23歳)
場所:大阪、千林大宮

知人のベースプレイを習いたい

路上ライブで仲良くなったベースの方がバンド仲間と音楽教室を開くことになり、憧れの人に直接ベースを教えてもらえるので、すぐさま生徒になりました。

課題のレベルが程よく難しい
私のベースの腕前は先生もある程度は把握されていたので、基礎はそこそこに、ベースアンプの音作りのポイント、スラップのサムピングの仕方、サムピングアップの仕方、リズム練習の際のクリックの取り方など、実践的なものや、テクニカルなものを分かりやすく解説してくれました。またその先生が作曲の学科も持っていたため、途中から作曲も一緒に教えてもらい、音楽全般のことを教えてもらいました。
ある程度練習フレーズが出来たら、課題曲が渡されるのですが、難易度が高く、ゆっくりしたテンポで噛み砕いていかないといけないので、とても練習のしがいがありました。

アプローチの幅が広がりました
フィジカルなスキルはある程度練習が必要ですが、楽曲に対してのアプローチや、ベースラインなどは端的にベースを習うだけではそこまで広がらないと思いました。作曲者として同じパートの先生がアドバイスを頂けたことにより、音楽的な視野が広がり、その結果自分では考えつかなかった楽曲やベースラインが作れました。
現在は宅録でのレコーディングの依頼を受けたり、BGMの製作でも声をかけて頂けるようになり、先生には非常に感謝しております。
最終的には、作曲・編曲者として、依頼元の要望に応えられる楽曲の提供に貢献したいです。

自分自身の生き方・考え方にも大きく反映したピアノ教室

学校:ヤマハ音楽教室
楽器:ピアノ 
年数:8年(10歳〜18歳)
場所:町田

小さい頃の記憶で印象深かったお遊戯回での拍手
すでに幼稚園の頃からピアノに触る習慣がありました。
祖母や母が同じくピアノを弾いていたからです。
幼稚園のお遊戯回といったイベントで、母がボランティアで演奏をしたこともありました。
幼少期ながらも、今でもしっかり覚えています。
ドラえもんのオープニングやエンディングを演奏し、園児や先生みんなから凄い拍手を貰っていたのを覚えています。
そういうこともあり、楽器ができる母を尊敬していました。
その拍手の大きさは今でも覚えています。
そういった憧れと、母の勧めもあり、ピアノの個人レッスンを受けることになりました。

『無くてはならない存在』
小学生から習い始め、大学生手前でやめました。
ちょうど地方の大学に行くことが決まった為、そこを区切りとしました。
しかし本当はやめたくなかったです。
あくまで地理的な理由にすぎなかったのです。
先生は、話上手でありながら、言うことはズバッという先生でした。
同時に良い点も悪い点もしっかり言ってくれる人でしたので、私にはとても良い先生でした。
私自身白黒つけたい性格でもありましたし、とことんやるのにも向いていました。
そういった先生に巡り会えたことは幸福なことだと思います。
単に優しいだけではダメだと思います。
この先生に習った事が、私の生き方にも影響したように強く感じます。
私にとってもここでの体験は、単なる習い事を超えた無くてはならない存在で、忘れられない場所となりました。
やめることが決まった時、私はお風呂場で静かに泣いたものです…。

プロにはならずとも十分満足
大変ピアノの演奏は上達したと確信しています。
私は特にプロの道に進む気はなかったので、大会といったメジャーなものの記録はありません。
ですが、中学高校(一貫校)での合唱コンクールでは毎年毎回伴奏をし有名人でしたし、学内では知らない人からよく話かけられたものです。
またコンクールでは伴奏者賞という物がありましたが、高校時代はほぼ金賞でした。
そのこともあり校歌の編曲もやらせてもらいました。
学校に簡単なもの(メロディー譜とベース程度)しかなかった楽譜を学校CDに近いものに編曲し、今でもそれが学校に残っています。
プロにならなかったとはいえ、普通の人ができない事を色々とやらせて頂きました。
十分に満足です。
今ではそういった演奏をする場はほとんどなくなりましたが、今でも趣味として弾き続けています。
確かに一時期はプロの道を目指してみたいとは思いましたが、その道が厳しい事は私はよく知っています。
なのでその道には行く気はもうありません。
ですが今でも趣味の範囲で続けています。
また親しい友人と連弾したり、音楽仲間と過ごしています。
そういった仲間を今後増やしていければなぁ、と思っています。
こういった心を通わせた仲間と過ごす日々を大切にしていきたいと思います。

プロ志望のメンバーも多数。先生たちの親身な対応


 学校:beeミュージックスクール
 種目:ポピュラーヴォーカル
 年数:5年(50歳〜)
 場所:bee池袋本校

上手くなりたい! という気持ちで、音楽のスキルを上げていくために。
 高校で、音楽の授業を担当していたことがありました。
 ピアノはそこそこ問題なくできるのですが、思っていたより声が出ないことがわかり、このままではまずいと思い、スキルを高めようと思いました。以前からスクールに通っていましたが、転勤によって、レッスンを継続したかったので、池袋のスクールをあらためて選びました。月2回のレッスンで、10,800円です(税込)。

スクールを選んだのは、「音楽する人」を見たかったから。
 音大を卒業していながら、まったくの個人レッスンを受けるコネクションをすでに失っていたということもありますが、音楽を趣味として、あるいはプロ志望でつっこんで勉強していきたいという人たちが、高校を離れたらどんなふうになるのだろうか、とかねてから興味をもっていて、スクールでの勉強を決めました。beeはヴォーカルやヴォイス(アナウンス)が中心ですが、ギター、ピアノのクラスもあります。生徒は10代後半から20代なかばくらいが多いようですが、小学生から60代の方が在籍しているとのことです。自分の出演しない発表会を聴きにいったこともあります。発表会で自分の知らない楽曲をたくさん聴くことができて、興味深く楽しむことができました。
スクールはとてもいい雰囲気です。オーディションで、おそらくスタッフの人柄も精査しているのではないかと思うくらいです。若い人、特にプロ志望の人たちはものおじせずに、どんどん先生方に話しかけている、いい関係をつくっているようです。
ずっと同じ先生に習うこともできるのですが、あえて、男性/女性かかわらず、いろんな先生につくようにしてきました。こういったシステムはbeeならではかと思います。いくつもの目で、いくつもの耳で生徒である私を観察していただけるのは、いろんな発見があって、楽しいことでもあります。レッスンは完全に個人レッスンなので、1時間でいっぱいいっぱいになりますが、先生には「1時間にフルパワーじゃ、まだまだだね」と言われてしまいます。からだや顔をリラックスさせないと、長い時間歌えないとのこと、まだどこかに力が入っているのでしょう。

腕前は上がった、あとは発表会で自分を表現

  事情があって、教える仕事を辞めてしまったのですが、自己実現の場として、スクールに通っています。ゆっくりですが、上手くなったと言ってもらえています。声量が増えたそうです。年齢を重ねてきた分、表現力では若い人たちには絶対に負けない自信があるので、まずはスクールの発表会の舞台を踏んで、「こんなおばさんになっても、自分の想いを表現することができるんだ」と若い生徒たちに思ってもらえることがさしあたっての目標です。

路上ライブで出会った理想の音楽講師

学校:ROOTS OF GROOVE
楽器:ベース、作曲
年数:1年(22-23歳)
場所:大阪、千林大宮

憧れのベーシストから音楽の先生に

バンド活動が落ち着き、改めてベースを習いたいと思い、路上ライブで出会ったベースの先生が音楽教室を開くので生徒第一号になりました。

作曲を習うことにより曲作りに一段と広がりを持たせるようになった
元々はベースを習っておりましたが、作曲学科も教えてるとのことで、月2回のうち1回は作曲を教えてもらうことになりました。
私が作曲したものを先生に聞いて頂き、添削をしてもらったり、音楽理論やコードアプローチを教えてもらいました。私の中で作曲はコード進行からメロディを作るものだと思っておりましたが、一番の成功法は逆でメロディを先に考える。そしてメロディに使われている構成音を元にコードボイシングをして行くというアプローチでした。これだと歌物で一番聴かせどころであるメロディを中心として楽曲を組み立てることが出来、メロディの構成音からコードを当てに行くので、外れたコードにはなりません。キーに沿ったコード以外のボイシングも可能なので、コード先行型に見られるマンネリを避けることが出来ます。フックの効いた楽曲を作りたい私にとっては、この他にも作曲の幅を広げるテクニックをたくさん教えて頂き、非常に勉強になりました。

楽曲や音源制作を依頼されるようになりました
今でも止まらずに音楽を続けているのは、この時先生に作曲の奥深さを教えてもらったからです。
習ったことを踏まえ、作曲を続けて行くうちにDTMでの楽曲制作や、MTRなどの自前機材でスタジオに出向き演奏を収録し、ミックス・マスタリングなどで友人、知人から依頼を受けるようになりました。
今後はこのような輪を広げ、音楽制作を教えられるようになりたいと思っております。