自分自身の生き方・考え方にも大きく反映したピアノ教室

学校:ヤマハ音楽教室
楽器:ピアノ 
年数:8年(10歳〜18歳)
場所:町田

小さい頃の記憶で印象深かったお遊戯回での拍手
すでに幼稚園の頃からピアノに触る習慣がありました。
祖母や母が同じくピアノを弾いていたからです。
幼稚園のお遊戯回といったイベントで、母がボランティアで演奏をしたこともありました。
幼少期ながらも、今でもしっかり覚えています。
ドラえもんのオープニングやエンディングを演奏し、園児や先生みんなから凄い拍手を貰っていたのを覚えています。
そういうこともあり、楽器ができる母を尊敬していました。
その拍手の大きさは今でも覚えています。
そういった憧れと、母の勧めもあり、ピアノの個人レッスンを受けることになりました。

『無くてはならない存在』
小学生から習い始め、大学生手前でやめました。
ちょうど地方の大学に行くことが決まった為、そこを区切りとしました。
しかし本当はやめたくなかったです。
あくまで地理的な理由にすぎなかったのです。
先生は、話上手でありながら、言うことはズバッという先生でした。
同時に良い点も悪い点もしっかり言ってくれる人でしたので、私にはとても良い先生でした。
私自身白黒つけたい性格でもありましたし、とことんやるのにも向いていました。
そういった先生に巡り会えたことは幸福なことだと思います。
単に優しいだけではダメだと思います。
この先生に習った事が、私の生き方にも影響したように強く感じます。
私にとってもここでの体験は、単なる習い事を超えた無くてはならない存在で、忘れられない場所となりました。
やめることが決まった時、私はお風呂場で静かに泣いたものです…。

プロにはならずとも十分満足
大変ピアノの演奏は上達したと確信しています。
私は特にプロの道に進む気はなかったので、大会といったメジャーなものの記録はありません。
ですが、中学高校(一貫校)での合唱コンクールでは毎年毎回伴奏をし有名人でしたし、学内では知らない人からよく話かけられたものです。
またコンクールでは伴奏者賞という物がありましたが、高校時代はほぼ金賞でした。
そのこともあり校歌の編曲もやらせてもらいました。
学校に簡単なもの(メロディー譜とベース程度)しかなかった楽譜を学校CDに近いものに編曲し、今でもそれが学校に残っています。
プロにならなかったとはいえ、普通の人ができない事を色々とやらせて頂きました。
十分に満足です。
今ではそういった演奏をする場はほとんどなくなりましたが、今でも趣味として弾き続けています。
確かに一時期はプロの道を目指してみたいとは思いましたが、その道が厳しい事は私はよく知っています。
なのでその道には行く気はもうありません。
ですが今でも趣味の範囲で続けています。
また親しい友人と連弾したり、音楽仲間と過ごしています。
そういった仲間を今後増やしていければなぁ、と思っています。
こういった心を通わせた仲間と過ごす日々を大切にしていきたいと思います。